日常のイライラから解放される法則です
感情に振り回されない人生を選択するというテーマでの学びでした
長野県は塩尻の陽だまりの家の環境の良い場所での学びです
人は、日常の生活の中で色々な感情に左右されて生きている
或る出来事に置いて人を“尊重”する行為とそうでない行為が有る
それそれに置いて人は「選択」をする
これを一つの例として
「妻よりも早く帰ってきて洗濯物に気がついたという話。
僕は妻が洗濯物を取り込まなくても良いように自分がそれをしようと思った
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そして次に何をするか
僕の中で洗濯物を取り込むか取り込まないかという選択が出てくる
選択の一つは、「洗濯物を取り込む」自分が感じたことを尊重して自分がそれをするということ
もう一つの選択は「洗濯物を取り込まない」自分が感じた事をしないこと
ここで「自分で感じたことを尊重する」選択が出来たときは問題なし
しかし、しないという自己裏切りしていしまうと、その結果が興味深い
僕は妻が「洗濯物を取り込まなくてもいいように自分がそれをしようと思った」
でもしなかった。つまり自分を裏切った。この瞬間に
「相手をどのように見始めたか?」
僕に取って洗濯物を取り込まないで出て行った妻は悪い妻ですね
妻を「だらしない」と思いもしも自分が洗濯物を取りこんでも妻は
「どうせお礼も言わないだろう」またたたみ方が違うと文句を言うに違いない
今度は自分の事をどのように見ているのかを考えてみよう
やっと仕事が終わって帰ってきた僕は「疲れているんだ」「忙しいんだ」
「僕の仕事ではない」つまり自分を正当化し相手を避難し自己を正当化する
このような状態を「箱に入っている」と定義する
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このようになり人間関係を崩していくこのようなときには
「箱に入っている自分に気付く」事が一番です。
中々この箱の法則を説明するのは難しいのですが
人を人と思い対処するのか
人を物として扱うのかこれらの心のありようで
人の心は平常心で居られるのである