黒枝豆解禁日に寄せて
今年もまた、丹波篠山に黒枝豆の季節が巡ってきた。

思えば七年前、この地にご縁をいただいて初めて黒枝豆の種を蒔いた日のことを、昨日のことのように思い出す。農とは無縁の人生を歩んできた私が、なぜこの黒枝豆に魅せられたのか。それは言葉にするのが難しい、ある種の啓示のようなものであったかもしれない(笑)
夏の日差しが容赦なく照りつける中、汗にまみれながら畑に通う日々。雑草を取り、水をやり、ときには害虫と格闘する。都会の暮らしでは決して味わうことのできない、土と向き合う時間。それは苦行といえば苦行だが、不思議なことに、その労苦こそが心を耕してくれるのです。(ちょっと大袈裟ですが・・)
畑は毎年変わる。栽培する面積も一定ではない。それは、自然と折り合いをつけながら生きるということの、ささやかな証左なのかもしれない。天は時に慈悲深く、時に過酷である。猛暑の年もあれば、長雨に悩まされる年もある。けれども、その気まぐれな天候に翻弄されながらも、大地は必ず何かを返してくれる。





先週、恐る恐る一枝を刈り取った。ふっくらと膨らんだ莢を手にしたとき、思わず頬が緩んだ。今年は豊作だ。この瞬間の歓びは、どれほど言葉を尽くしても伝えきれない。
そして今日、解禁日。来週収穫に行こうと思う中で少しイメージしてみた。
茹で上がったばかりの黒枝豆を口に運ぶ。ほのかな甘み、深い旨み、そして丹波篠山の土の香り。それは、半年にわたる労苦が凝縮された、至福の一粒である。
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今日のまいどあり〜⤴️
人は何のために働くのか。何のために生きるのか。そんな大仰な問いに、この小さな豆が答えてくれる気がする。
汗を流し、土に触れ、自然に感謝し、そして収穫の歓びを味わう。その営みの中に、人間本来の幸福があるのではないか。