長く厳しい暑さの夏も気がつけば朝の風に一筋の冷たさを忍ばせている。熱い、暑い、と呻き続けた日々が嘘のようである。人間の記憶というのは、まことに都合よくできている。
九州のバイク旅から戻って、ひと息つく間もなく、十月二日の金曜日、丹波篠山の畑に来てみた。
空が、青い。


抜けるような青空の下、山々は夏の名残の緑をまとって静かに座っている。その手前には、黄金色に色づいた稲田が帯のように横たわっていた。収穫の季節というのは、まず色からやって来るものらしい。
その稲田を背に、黒枝豆の畝がどこまでも続いている。
葉は大きく、濃く、茎はたくましい。ひと夏の暑さを耐え抜いた面構えである。虫に食われて穴だらけになった葉が、これまたいい。無傷の葉など、むしろ信用がおけない。穴は勲章である。


葉陰をのぞくと、先客がいた。アマガエルだ。
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鮮やかな緑の体を、これまた緑の葉にぴたりと貼りつけて、じっとしている。邪魔をするなと言いたげな顔で、こちらを見もしない(笑)
さて、解禁日の十月八日を目前に、豆の具合はどうかが気になるところです。畝の端から二株を切り出した。
土の匂いがした。根元から引き抜かれた株には、うぶ毛をまとった莢が、ずっしりと鈴なりについている。莢を割ると未だ青い。まだ、である。

実の膨らみは、満足のいくものではなかった。色艶も、黒枝豆と名乗るにはいささか早い。
株から莢だけを外し重さを量ってみる。四百グラムであった。
悪い数字ではない。だが、私が見たいのは今の姿ではない。十日から二週間後には、この倍、八百グラムほどにまで、ふっくらと膨らんでくれるはずである。
解禁日以降が待ち遠しい。
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種を蒔き、草を刈り、あとはただ、天と土とを信じて待つ。人にできるのはそこまでで、残りは、お天道様の仕事である。後は「待つ」だけ。待つ時間のなかにこそ、豊かさがある。
試し採りの莢は、緑の袋にたっぷりと収まった。赤い作業手袋を脇に置いて眺めていると、これだけでもう、今夜の酒の肴には十分すぎるように思えてくる。いやいや、まだ早い。これは味見である。本番は、これからだ。

今日の振り返り
帰り際、ふり返ると、黒枝豆たちが夕風に揺れていた。まるで「また来いよ」と手を振っているようであった。
十日後か、二週間後か。豆がいちばん旨くなるその日に、私はまたこの畑に立つ。ふっくらと膨らんだ莢を手に、ひとりでにやりと笑いながら。そんなイメージを膨らませ帰路についた。
